2015-3-22 四旬節黙想会
3月22日に池田教会御堂における四旬節黙想会では御受難修道会の山内十束神父が福音(ヨハネ8章、1-11節)に見られる“イエスと律法学者とファリサイ派の人々との間のズレ”について講話された。対面しているかのように穏やかな声で語る山内神父は聞く者に福音の一言、一言の意味を覚らせた。
律法学者とファリサイ派の人々は、律法に対して熱心であることを表すために一人の女性を訴え、イエスに質問し、イエスを不利な状況に追いやる。人びとは自分が正しいと思っているときには他者の咎を責め立てたりするが、自分自身はどうなのか。御前で心を閉せば、却って危ない状況にいるのではないか。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」この言葉に律法学者もファリサイ派も自分の罪を悟り立ち去って行く。誰でもイエスの前に在るとき自分の罪を言い逃れることをしない。「わたしもあなたを罪に定めない。」この言葉で彼女の罪が赦され解放される。この言葉を聞いたときどんなにうれしかったことでしょう。彼女は心を閉ざしていないのでイエスを知ることができた。神の恵みの中に留まるときズレは正される。
律法学者とファリサイ派の人々は、律法に対して熱心であることを表すために一人の女性を訴え、イエスに質問し、イエスを不利な状況に追いやる。人びとは自分が正しいと思っているときには他者の咎を責め立てたりするが、自分自身はどうなのか。御前で心を閉せば、却って危ない状況にいるのではないか。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」この言葉に律法学者もファリサイ派も自分の罪を悟り立ち去って行く。誰でもイエスの前に在るとき自分の罪を言い逃れることをしない。「わたしもあなたを罪に定めない。」この言葉で彼女の罪が赦され解放される。この言葉を聞いたときどんなにうれしかったことでしょう。彼女は心を閉ざしていないのでイエスを知ることができた。神の恵みの中に留まるときズレは正される。
(広報委員会)