2015-11-22 待降節黙想会
王であるキリストの祝日にイエズス会の赤松廣政神父様に黙想会をご指導していただきました。
■王であるキリストを手掛かりにイエスの姿をあじわう
力で上から支配し、制圧するためではなく、人々に仕えるためにこの世に来られたイエス。道を見失った人をイエス御自身が探し求め、見つけて、大喜びしてくださる無限のいつにくしみを黙想することができました。「ともにいる」とおっしゃってくださったイエス、私たち人間のレベルまで自分を低くして一緒にいてくださる神様の人間への深い愛を感じることはややもすればすぐくじけて、下を向く私の心に「小さな復活体験」が起こり、光のほうへ向く力を与えられたと感じました。
力で上から支配し、制圧するためではなく、人々に仕えるためにこの世に来られたイエス。道を見失った人をイエス御自身が探し求め、見つけて、大喜びしてくださる無限のいつにくしみを黙想することができました。「ともにいる」とおっしゃってくださったイエス、私たち人間のレベルまで自分を低くして一緒にいてくださる神様の人間への深い愛を感じることはややもすればすぐくじけて、下を向く私の心に「小さな復活体験」が起こり、光のほうへ向く力を与えられたと感じました。
この黙想会を拝聴して、待降節、ご降誕への心の準備だけではなく、12月8日から来年の王であるキリストの祝日までの期間に祝われる「神のいつくしみの特別聖年」への準備にもなりました。
また、日常生活においても家族や大切な人と「ともにいる」ことの重要さを感じました。いつもどんな時も、喜びの時も悲しみの時も「一緒にいてくださる神」を感じ、祈り、感謝し、自分自身も身近な人にとって「ともにいるひと」になれたら、と思いました。
また、日常生活においても家族や大切な人と「ともにいる」ことの重要さを感じました。いつもどんな時も、喜びの時も悲しみの時も「一緒にいてくださる神」を感じ、祈り、感謝し、自分自身も身近な人にとって「ともにいるひと」になれたら、と思いました。
(広報委員会)