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2016-11-27 待降節黙想会

 岡本大二郎神父(サレジオ会)
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第一講話

 本日のミサは子どもと共に捧げるミサなので、第一講話では子どもたちにもわかるようにお話しします。待降節とはイエス様が私たち一人ひとりの中にお生まれになるのを準備する期間です。私たちの心の中はイエス様のお部屋のようなもの。その中で生まれ、育ち、大きくなりたいとイエス様は思っているのです。
 私たちは赤ちゃんイエス様がすくすく育ってもらうためにどのようなお部屋を用意できるでしょうか?心の中にいらないもの、邪魔なものはないですか?こんなのが心の中にあったらイエス様喜ぶだろうな、反対に悲しむだろうな、と考えてみてください。私たちを通してイエス様が生まれる、その準備をしてください。
第二講話

 フランシスコ教皇が教皇になられる前の1990年から92年にかけてのアルゼンチンで過ごされた空白の2年間を、「フランシスコ教皇の魂の暗夜」と題にして、お話します。

 16歳で司祭になる決意をされたベルゴリオ(のちのフランシスコ教皇)はイエズス会に入会し、叙階の数年後にはアルゼンチン管区長に、その後イエズス会の神学校の院長になりました。彼は明確なビジョンをもって会の運営に携わりました。大胆な改革についていけない会員、反発する会員がいたことも事実です。
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 彼に反発する会員が管区長になったとき、彼は閑職へと追いやられます。コルドバというアルゼンチン第二の都市に送られた彼はそこで仕事もなく、孤独に祈りのうちに2年間を過ごしました。彼は拒否され、否定された2年間を後に次のように本の中に記しています。「その時期は自分にとって浄化の時期でした。暗闇の時期であったけれども、祈り、そして多くの本を読みました。その中でなぜか歴代教皇についての本を読み、多くの教皇も苦しみの中で人生を送ったことを知りました」。
 その後、ブエノスアイレスの補佐司教に任命され、イエズス会を離れたベルゴリオ神父は司教になってから変わりました。決断する前にいろいろな人に相談するようになりました。コルドバでの2年がなかったら今の教皇の姿はなかったでしょう。
 拒絶され、受け入れられなかった経験は、イエス様の十字架、そして死と重なります。しかし、そこがまさしく私たちの希望の場であり、復活の場所であるのです。ベルゴリオ神父の今までやってきたことを全否定された経験、それこそが今の教皇職につながることになったのです。
 私たち自身も「自分は理解されていない、わかってもらえない」という経験を持つとおもいます。キリストは私たちに言いました、「自分についてきなさい。私は道、光、真理、生命である。私についてきて一緒に十字架にかかって死になさい」。否定されたことに否定で返さずに、受け止めていく、その中で人々にゆるしと光をもたらす存在になりましょう。
 クリスマスまでに私たち一人ひとりの中にイエスを育てていきます。それぞれ、ベルゴリオ神父とは違った暗闇を持っているかもしれません。与えられた暗闇で生きながら、自分の中にいる光であるイエスの道を歩んでいけますように。
 最後に、フランシスコ教皇自身の言葉、彼が失わずに持ち続けた希望の言葉を紹介して、講話を終えます。
 「イエスは私たちのために教会を建てられただけではありませんでした。教会は憩いの場ですが、イエスがなされたのはそれだけでなく、私たちを教会として建てられました。イエスは私たち自身を教会にし、私たち自身が教会になっていく。世にキリストをもたらすものになって行く道を歩みましょう。」

(広報委員会)

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