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2019-11-24 黙想会
-待降節に向けて-
2019年11月24日 「生きよ!マリア」 待降節を迎えての黙想会
カトリック箕面教会主任司祭 矢野吉久神父

 今年の矢野神父様の講話はマリア様の生き様を詳しく解説してくださいました。どんな状況下に置かれても、神様に身をゆだねられたマリア様。そのお姿が目に浮かぶような詳細なお話です。
 もし自分がタイムスリップして同じ立場になったら果たして同じようにつらい状況を受け入れることが出来るでしょうか。想像するだけで身が引き裂かれる思いですが、なお一層、マリア様への想いが募る素晴らしい講話でした。以下に矢野神父様の講話を一部紹介いたします。
写真1
 神父になった頃神戸の海星女子学院小学校のマリア様の行事に呼ばれて行ったとき一年生から六年生までが力をあわせて描いた大きなマリア様の絵がありました。それは巨大な太ったマリア様(京塚昌子のような)の絵でわたしはそれを見てうれしくなりました。わたしのイメージとピッタリだったからです。

 受胎告知 (マタイ1章~2章・ルカ1章~2章)

 亡くなられた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が数年前朝日新聞に連載をされていました。先生は、ビートルズの“Let it be” は、マリア様のお告げのことだと書かれました。宗教的背景がない日本では「なるようになる」と訳されましたがそうではなく「あるがままに受け入れます」というマリア様の生き方です。
日野原先生は歌詞をこう翻訳されました。

 私が問題をかかえた時
 メアリ母ちゃんがあらわれてかしこいことばを言ってくれる
 あるがままに受け入れなさい
 そしてわたしが落ち込んだ時彼女は私の前に立ち
 かしこい言葉をいってくれる
 あるがままに受け入れなさい
 世界中の失意の中のひとたちが同じような気持ちでくらしている
 これが答えになるだろう
 あるがままに受け入れなさい

 12、3歳の貧しい少女が身ごもるということは、ヨセフに信じてもらえるかどうかもわからない、ふしだらな女といううわさにもなりかねない状況でしたがその中でのLet it beでした。受胎告知によってマリア様の人生は大きく変わりました。マリア様は、道具として一方的に神に選ばれたのです。
 何でこんなことがという事はいっぱいあります。現代版ヨブ記のような人もいます。わたしも実際に何人か知っています。それに対する答えはありません。「ありのままに受け入れます」それを切り開いたのがのがマリアです。
 冒険、adventure、ということばがありますがその 語源は、advent(待降節)です。それは、何かが突然おこること、突然思いもかけないことが生じること。マリアの冒険が始まったのです。マリアは信じて受け入れたのです。母マリアとともにわたしたちは待降節をすごします。
 イエスさまが生まれたときヘロデは、二歳以下のこどもを皆殺しにしました。救い主としてうまれたばっかりにとばっちりで殺されたこどもがいます。なぜですか?素朴な疑問です。答えはありません。マリアとヨセフは、殺されたこどもの親の視線を感じながら生活したのです。聖路加国際病院の小児科医だった細谷亮太さんがつぎのように書かれています。

 「救い主としてうまれたばっかりにたくさんの罪のないあかちゃんが殺された事実を知りながら育たなければならなかったイエス。殺されたあかちゃんの家族の悲しみと怒りを感じながらイエスを育てたマリアとヨセフ。つらかったろうと心底思った。」

 難民だったマリア

 ある神父が、「マリアは、エジプトの難民キャンプにいたんだよね」といいました。自分の国を追われた、そういう姿のマリアなのです。
 十字架の下に立つマリア (ヨハネ19・25~27) は、死刑囚の母だったのです。いまでも、犯罪者の家族にたいして世間の目はきびしいです。マリアは、未婚の母、犯罪者、難民、そのひとたちの側にいます。そのマリアに、生きよ!マリアと神は言われるのです。そのあとにわたしたちは、ついていくのです。

 教会の母マリア

 マリアは、教会誕生の時弟子たちと祈っていました。初代教会には、姦通の女、ニコデモ、ザアカイ、盲人、等々がいました。わたしたちも、マリアを先頭に続いていきます。「生きよ!マリア」。そこにじぶんの名前を入れてください。
 神様に下駄をあずけて生きる生き方。それをわたしたちに先がけて生きてくださったのが母マリアです。

(研修委員会)

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