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2024-2-25 四旬節黙想会

「これはわたしの愛する子。これに聞け」(マルコ9章7節)
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2024年2月25日(日)四旬節第二主日 カトリック池田教会では、オプス・デイ属人区 中島貴幸神父様のご指導のもと、四旬節黙想会が行われました。

中島神父様が所属される『オプス・デイ』は『家庭や仕事など日常生活のあらゆる場面に於いて全ての人々が聖性に至る』ことが出来るよう、励まし援助する活動をされているカトリックの団体です。

黙想会では、テーマ「これはわたしの愛する子。これに聞け。」(マルコ9・7)の場面である高い山から始まり、聖書と日常生活を交互に行き来しながら、オプス・デイの教えを通じて聖性に至る道のご指導を頂きました。

第一講話ではミサの福音箇所であるイエス様の変容(マルコ9・2-10)という日常生活や仕事からは一番遠い『超自然的』な福音の解説から始まりましたが、イエス様が山に登ることによってエリヤやモーゼと霊的な会話をしたように、私達も生活の中で心の山を登り、朝昼夕3回くらいはその山に登って(心を上げて)神と語り合う(祈る)ようにと、オプス・デイが重んじる日常生活での提案に導かれたことに、『聖書を自分の生活に置き換える』というオプス・デイの『道』を垣間見た気がしました。

「この四旬節、毎日高い山に心を上げて、『祈願』・『感謝』・『償い』を行い、神様を心から『賛美』出来る生活を味わうように」とご指導頂きました。

第二講話では冒頭「私の言葉を全部聞く必要はありません」といわれたので驚きましたが、 『神の現存』を意識しながらお言葉を聞いているとイエス様や聖人たちがいる聖書の光景や聖ホセマリア・エクスリバーがオプス・デイを立ち上げた時の光景、日常の中での自分の生活が交互に置き換わりながら、大切なのは言葉そのものを聞く事ではなく、この光景を観て感じることによって神の現存は聖書の中だけでなく生活のいたるところにちりばめられていること思い出すことだとわかりました。

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普通のキリスト者が社会生活の中で聖性を追求する為の道を歩むとき、『祈り』と『犠牲』は大切な信仰の両輪と言えますが、祈りは「呼吸するように祈る」、犠牲は「心臓の鼓動のように犠牲をおこなう」と教えて頂きましたが、ユニークな表現であるにもかかわらず、四六時中神とともにあるというオプス・デイの信仰に対する意識の高さや緊張感が伝わってきました。また常に神を忘れない為の祈りを骨組みとした一日の中でのスケジュール作りの必要性や、聖性と使徒職は表裏一体であり、祈りと同時に人々の中に入り人に寄り添い、祈り、耳を傾け、犠牲を行う事の大切さを教えて頂くとともに、陥りやすい傲慢の危うさもご指導頂きました。

(余談ですが、家のトイレ掃除をする際、ただの綺麗好きで掃除するのではなく小さな犠牲を神に捧げるという意識に変えられると、「もっと汚してね!」という気持ちになると言われた時は思わず笑ってしまいました。)

教皇様もマザーテレサもシスター渡辺和子もオプス・デイと同じ考えを述べていると教えて頂きました。特に教皇様の『使徒的勧告 喜びに喜べ――現代世界における聖性 』(カトリック中央評議会)は、オプス・デイと同じことを言っておられる上に読みやすくお勧めとの事でした。

また、聖ホセマリア・エクスリバーに関する書籍も四種類も頂きました。感謝致します。皆さまも是非お読みください。

池田教会の皆様が、日常生活の中で沢山の聖性を見つけることが出来ますよう、お祈りいたします。


(研修委員会、写真提供は広報委員会)

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