2025年4月 | ▶︎朗読を聞く |
あなたがたは地の塩 である。・・あなたがたは世の光である。
-マタイ5章13、14節-
-来住神父-
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キリスト者が 社会に貢献できる、二つの道筋を示しています。 キリスト者でない人々にとっても 役に立つ 視点だと思います。
一つは、社会に自分が良い模範を示して、善が広がっていくという道筋です。もう一つは、自分は目立たないが、社会を良くするというより、悪くなることを防ぐ道筋です。
二つの道筋のうち、「地の塩」の方が、私たち庶民にとって役に立つ視点だと思います。 世の光といえるほどの善を行うのは大変ですが、地の塩になるのは、今日からでも手をつけられることです。
塩は人間にとって絶対に必要な栄養素ですし、また 食べ物の味を引き締めるにも役に立ちます。
しかし、塩にはもう一つの大事な役割があります。それは食物の腐敗を防ぐということです。「地の塩」になるとは、自分がそこにいることによって、社会が限りなく腐敗していくのを防ぐという役割を引き受けることです。
女優の澤村貞子さんは、お母さんについてこのように言っています。「町内の噂は母のところで止まった」。ドラマにはよく「放送局」とあだ名される噂好きの人が出てきますが、いくらお喋りでも、一人の活動によって 噂が広がるわけではないのです。 一人が三人に伝える、 その三人のそれぞれがまた三人に伝えるという風にして、 噂は取り返しがつかないまでに広がります。
一人がこの噂を次の人に話すのを止めるだけで、そこから先のルートは止まるのです。野火のように広がる噂を消して回ることが、一人で出来るなら 素晴らしいでしょう。 しかし、それはとても難しいことです。でも、自分のルートから先に広がるのを止めることはできるのです。
不特定多数を相手にするSNSの場合、拡散は爆発的で、このような一人の自制はほとんど 効果がないのは事実です。 しかし今でも、ご近所の噂、 サークルの噂、教会の噂というものはあります。この場面で、自分だけは 口を閉じていよう という決心ができる人は地の塩です。
地の塩となろうとすることが大きな意味を持つのは、「言葉」が人間社会に災害をもたらす場面です。
友人たちが噂話に耽っている場所に居合わせたことのある人ならわかると思いますが、 自分は噂話など好きではないと思っていても、つい巻き込まれてしまうことがあります。人間はその場にいない人間よりも、その場の盛り上がりに貢献したいと思うものです。 つい、 「そういえば私もこういうことを聞いたよ」 と言ってしまうのです。 ちょっとした情報提供のつもりで行ったことが、 次の瞬間には「事実の伝達」になってしまうのです。 だから、ヤコブの手紙の著者は「言葉」ではなく、「舌」という語を使っています。 舌がすべって、大きな痛みをもたらすのです。
しかし、 舌を制御することは、 英雄的な勇気を必要としない。ただ、 その場で話に自分も参加して盛り上げたいという欲望を抑え、口を閉じているだけで 可能なのです。 まことに、地の塩です。
