2025年10月 ▶︎朗読を聞く 

あなたがたは、「然り、然り」、「否、否」と言いなさい。 それ以上のことは、悪い者から出るのである。

-マタイ5章37節-

-来住神父-

イエスは「一切(神に)誓ってはならない」と言っています。 一般的には、「神に誓ったことは必ず実行しなさい」と教えるでしょう。旧約聖書もそう教えています。しかしイエスは、むしろ「誓ってはならない」と教えるのです。神に誓うことは軽薄さ、不誠実さの表れだということです。 この教えは、現代日本の言語事情にも教えるところがあります。

 

現代日本の社会では、誓う 相手としての「神 」という存在にリアリティがありません。誠意や意気込みを表現するために、代わりに「強調の副詞」を多用します。 この現象は、問題を追求された時の政治家や企業のトップの答弁に多く見られます。 「ご指摘を真摯に受け止めます」。「 丁寧に説明させていただきます」。 最近目立つのは、「訴状がまだ届いておりませんので、 内容を精査した後、回答させていただきます」。 精査の「精」は余計な強調です。

この答弁の「真摯に」とか「丁寧に」 「"精"査する」という言葉にはまったく内容がありません。むしろ、 その場をごまかそうとする不誠実の表れであることが多いのです。 子供が親に「もっと勉強しなさい」と叱られた時に、 「お母さんのご指摘は真摯に受け止めます」、「 これから丁寧に対処します」、「お叱りの内容をまず精査させていただきます」などと答えたら、「親をなめてるのか」 と激怒されるでしょう。

しかし残念なことに、 日本の大人社会では、それが通用してしまうのです。 答弁を聞いた記者も、「真摯に、とは具体的には どういうことをするのですか」「丁寧に、とはどういう意味ですか」 と、 追いかけて再質問をしたりしません。

これは記者の準備不足、 権力者に対する臆病ばかりではないと思います。 日本の社会には、言葉の勢いを 重視する傾向が根強くあるのです。一時代前によくありましたが、精神一到とか、不惜身命(フシャク・シンミョウ)とか、漢語を多く使うとなんだか良いことを言っているような気がして、通用させてしまいます。


言葉の勢い、 美しさには確かに意味があります。 それが人の心を大きく動かすことがあります。 しかし、コケ脅かし、内容の無さを ごまかすためにも使われます。 時々、役人の文章から強調の副詞を全部除いて読んでみると、どの程度内容のあることを言っているかがわかるでしょう。

現代日本で必要なことと言えば、もちろん正義の増進、 平和の促進でしょう。しかし同時に、 「言語を正す」ということも 必要なことです。 宗教にはその役割があります。宗教を信頼しない人は、宗教こそ言葉を曖昧華麗に使って、人を幻惑するものだというかも知れません。 それも 一つの歴史的事実です。 しかし、今日選んだ福音の言葉にあるように、「言語を正す」ことも宗教の役割なのです。


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