-ヨハネ 8:7-

あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。

-中村神父-

 最近は何事につけ苦情を言うのが当たり前の社会になっています。購入した商品に欠陥や不備がある場合はもちろんのこと、店員の態度が気に入らなかったり配達が遅かったりした場合にも苦情を申し入れるケースがしばしばあるようです。苦情を言わないにしても、同様の思いを抱いたことのある人は多いのではないでしょうか。

 もちろん購入した商品やサービスに問題があった場合、相手先に不備を訴えるのは消費者の正当な権利です。とは言え、先方に非があるのだから多少は厳しい口調で文句を言うのは当然だという考え方が大勢を占めるようになれば、新たな問題を引き起こしかねません。中には相手が対応に苦慮するような状況を敢えて作り上げることで、そこから利益を引き出そうと悪知恵を働かせる人もいるようです。

 今月のみことばは、このような身勝手な風潮を根本から戒める教えが語られています。イエスが神殿の境内で人々に福音を宣べ伝えていると、姦淫の罪を犯した女性が律法学者やファリサイ派の人々によってイエスの前に連れてこられました。ユダヤ教の律法に照らせば死刑に該当する重罪ですが、彼らは敢えて「あなたはどうお考えになりますか?」とイエスに質問します。「赦してやりなさい」と言えば、律法を守らない反逆者となり、「律法に従って石打の刑にせよ」と答えたならば、ローマ帝国によって死刑を禁じられたイスラエルにおいて、ローマ帝国の法律に従おうとしない反逆者となってしまうのです。このような悪意ある質問を投げ掛けた人々は、自分たちにこそ正義があると心底から思い込んでいます。

 レビ記20章10節によれば、罪を犯した男女の両方が等しく裁かれなければなりませんが、男性はおそらく逃げてしまったのでしょう。この女性だけを律法違反者としてイエスの前に引き出した人々は、男女両方が揃っている状況に拘るよりもイエスが窮地に陥るお膳立てが整えばそれでよしと考えているようです。そこに真の正義はあるのでしょうか。

 執拗に答えを求める告発者に対して、イエスは単純明快な言葉で答えます。「あなたたちのうちで罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と。この言葉に彼らは戸惑い、年長者から一人、また一人と、石を置いてその場を後にしていきました。人間は長い人生の旅路の中で、様々な経験を積みます。あるときには意図せずとも神様と隣人に対して顔向けできない過ちを犯してしまうのが人間なのです。そのような自分を顧みることなく、他者の罪を材料にしてイエスを罠に嵌めようと画策した人々は、いやおうなしに自分自身を振り返った時、我こそが告発されるに相応しい人物であることに気がついたのです。

 一人残された女性にイエスは声を掛けます。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。もう罪を犯してはならない。」わたしたちは様々な失敗を神様と隣人からゆるしていただくことで現在に至っています。それを忘れることがないようにしたいものです。


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