> 2022-12 - 2023-1

 2022年12月-2023年1月

-マザー・テレサ-

わたしたちは、大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです

-中村神父-

 わたしがまだ20代の頃、あるアメリカ人司祭から次のような話を聞きました。まもなく司祭叙階を迎える一人の神学生がいました。ほどなくして修道会では、数名の叙階候補者たちに許可を与えるか否かの会議が行われたのです。他の神学生は問題なく叙階の許可が認められましたが、彼については長い意見交換が行われました。問題とされたのは、彼は人前で話をすることができないという点でした。人前に出ると上がってしまい、ほとんどまともに会話をすることができなかったのです。司祭は人前で神様について教え、説教しなければなりません。誰もが、彼がその任に応えられるとは思いませんでした。しかしながら、彼はとてもまじめで厚い信仰を持っているので、叙階許可を与えてもよいのではないか、という意見が出されたことにより、特別に許可を与える決定が下されたのです。

 叙階後の彼の司祭生活は、通常の司祭の歩みとは大きく異なっていました。人前で説教することを禁じられたのです。第二バチカン公会議前の修道会では、司祭と一般の修道者との役割分担は明確に分かれていました。修道者は修道院の生活を支えるための仕事に就くことが常であり、掃除や洗濯、炊事といった家内の仕事や畑仕事などに専念することが求められていたのです。彼が任されたのは司祭の仕事ではなく、修道者がする仕事でした。この仕事を彼は不平を言うことなく、黙々とこなしていきました。

 彼がひとりで畑仕事をしていたある日のことです。近所の農夫が彼の下にやって来てこう言いました。「神父さん、わたしはとうとう耳が聞こえなくなりました。わたしのために祈ってください。」彼は持っていた鍬を置いて、何も言わずに農夫の両耳に手を当てて静かに祈り始めました。しばらくすると農夫は驚きのあまり声を上げました。「神父さん、聞こえます!耳が聞こえるようになりました!」この司祭は生涯にわたって人前で説教することは叶いませんでした。その代わりに、神様から聖なる人となる大きな恵みをいただいたのです。この司祭は、あたかもマザー・テレサの言葉を文字通りに実行したかのような人生を歩んだのです。

 マザー・テレサ自身、何か大きなことを成し遂げようと計画したわけではなく、電車の中で神様からの呼び掛けを受けて、最も貧しい人たちのところに身を置くところから始めました。道端に倒れて今にも息を引き取ろうとする人を引き取り、汚れた体を洗い、食べ物を与えたのです。これまで誰からも愛されたことのない人々にとって、初めて体験する愛に満ちた行為に、ある人は困惑し、ある人は涙を流しました。彼女を訪ねてきた教え子たちは、そうした彼女の姿を見て驚き、誰からということなく手伝い始めました。それは人づてに次第に広まっていき、世界中に拡大する大きな活動へと発展していったのです。

 わたしたちは大きなことはできませんが、小さな愛を積み重ねることによって、神様がそれを完成させてくださいます。この教えを忘れずに、身の回りにある小さなことを、愛をもって行っていきたいものです。


フッター