-マタイ 6:20-

富は天に積みなさい

-中村神父-

 イエス様と弟子たちによる「神の国の福音」の宣教は、イスラエル国内の様々な地域を約三年間に亘って巡り歩くものでした。その際には、重い病気に苦しむ人や先天的な障害のある人を癒し、悪霊に取りつかれた人を解放するという奇跡をもたらすことで、神の愛と恵みはイエス様を通して与えられることを示されたのです。

 時には周辺の異邦人の居住する地域にも足を踏み入れてみことばを語り、癒しの業を行いました。これは神の国が世のすべての国々と人々に及ぶ宣教の実りの先取りであって、初代教会が設立された後に、以前に訪れた地域の人々が福音を受け入れやすい素地を作るためでもありました。マタイ福音書による「山上の説教」は、ガリラヤ湖周辺で語られた福音を基礎としつつ、幾多に亘る宣教の旅で語られた内容も含め、イエス様の教えが読む人に伝わりやすいようにまとめられたものと考えられています。

 「富は天に積みなさい」という教えは、山上の説教の中で祈りと断食についての教えの直後に、弟子たちと群衆に向けて語られたものです。当時のイスラエルでは、神の恵みは見える形で与えられるものだと信じられていて、豊かな富を所持している人は、神様がその人を愛している証であると考えられていました。それゆえに、イエス様の教えは富に対する当時の人々の常識を覆すものだったのです。

 天に富を積むにはどのようにすればよいのでしょうか。マタイ福音書の19章にその答えがあります。一人の金持ちの青年がイエス様に向かって、永遠の命を得るにはどうすれば良いかを尋ねました。この青年はモーセの律法を幼い頃からしっかりと守る、ユダヤ教の模範的な信者でした。しかしながら、イエス様の口から発せられた言葉は、彼が考えてもいなかった答えだったのです。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」(マタイ19章16~22節)。これを聞いた青年は、悲しみながら立ち去っていきました。彼には受け入れがたい言葉だったのでしょう。

 現代社会に生きるわたしたちは、イエス様の言葉を文字どおりに実行するのは容易なことではありません。誰もが豊かな富を築こうと懸命に働き、社会全体がそれを奨励しているからです。わたしたちはこの青年と同様に、悲しみながらイエス様のもとを去っていくしか術はないのでしょうか。

 それぞれが置かれている状況を踏まえて、この教えを考える必要があります。独身の青年であれば、そのまま実行できる人もおられるでしょうが、家族を養う立場のひとであれば、まずその責任を全うする義務が生じます。それを果たしたうえで、必要としない物を誰かに分け与えていくのは現実的な選択肢の一つです。富に執着しても、それを未来永劫自分のものとして持ち続けることはできません。一人ひとりが祈りのうちにイエス様が求めておられる答えを見つけ、それに快く応えていくことができますように。


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