-マタイ 7:7-
求めなさい。そうすれば、与えられる
-中村神父-
これは私が千葉の教会で働いていた時に実際に体験した出来事です。夕方の御ミサが終わって外に出たところ、一人のご婦人がやって来て、主人に洗礼を授けてほしいと願ったのです。その人は病院に入院中で、病状は思わしくないようでした。主任司祭に相談したところ、「あなたが病室に行って洗礼を授けてきなさい」と言われたので、早速予定を組んで一人の信者さんに案内してもらい、病院に出掛けました。
病室の手前に差し掛かると、見覚えのある名前が目に留まりました。それは重い病気で入院中だと聞いていた、教会の信者さんの名前だったのです。携えてきた御聖体の数に余裕があったこともあり、わたしは先に彼の病室を訪ねました。思っていたよりも元気そうだったので、私は胸をなでおろしつつ彼に御聖体を授け、「これから隣室の患者さんに洗礼を授けてきます」と言い残して病室を後にしました。
受洗する人は40代後半の方でした。受洗に必要な幾つかの質問をすると、受洗の意思を小さな声で表明したのです。主の祈りを唱えられますか、と尋ねると、「はい」と答えが返ってきました。すると、彼の奥さんは私に一冊の小さな本を手渡してくれたのです。それは信徒向けの小さな祈りの本で、擦り切れてボロボロの状態でした。聞けば、彼は建設会社の社長さんで、仕事が忙しくて教会を訪ねることができないため、奥さんが彼のために祈りの本をプレゼントしたのです。「これだけ祈り込んでいるなら、洗礼の準備はできていますね」と告げると、奥さんは私に言いました。「神父様、もう三冊目です。前の二冊は壊れてしまって使えなくなってしまいました」と。彼は朝早くから夜遅くまで仕事に没頭していたため、腰を据えて祈る時間が取れないので、仕事の合間を見つけては場所を厭わず祈っていたそうです。私は驚くと同時に、彼の強い意志と信仰の深さを強く感じました。
すぐに洗礼の準備に取り掛かると、代父となる人を決めておくのを失念していたのに気がつきました。私を病院に案内してくれた信者さんは女性でしたので、誰か男性の信者さんにお願いするのが一般的な選択です。そういえば・・・、私は隣の病室に相応しい人がいたのに気がつきました。事情を話したところ、代父となることを快諾してくれましたので、洗礼式をスムーズに進行することができたのです。式の終わりごろ、この信者さんは点滴のスタンドを片手に病室まで足を運んでくれました。彼は代子となった受洗者と笑顔で対面した後、私にこう告げたのです。「神父さん、私の趣味はね、代父になることなんですよ。全国に私の代子が何十人といます」と満面の笑顔で話してくれました。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」とイエス様は弟子たちに教えられました。受洗者は奥さんの信仰に支えられて、教会に行けなくても祈りによって神様への深い信頼を培い、神様から恵みを引き出すことができたのです。
ひと月ほどして、彼は神様が用意してくれた場所に旅立ち、後を追うように代父となった信者さんも帰天されました。きっとこの二人は神様のもとで、笑顔で語り合っているに違いありません。私たちも、いかなる状況に置かれても神様への信頼を失うことなく、恵みを求め、探し、諦めずに門を叩き続けていきたいものです。