-ルカ 2:11-

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった

-中村神父-

 私がまだ小学生の頃、12月に入ると新聞の折り込み広告が気になって、毎日欠かさずチェックすることを怠りませんでした。それは子供向けの玩具のチラシが気になって仕方がなかったからです。チラシを隈なく確認して、その年のお目当ての玩具を見つけると、その写真に密かに印をつけておくのです。すると24日のクリスマス・イヴの夜に、サンタクロースがやってきて玄関の呼び鈴を鳴らし、ほしかった玩具を手渡ししてくれました。お目当ての玩具を手に入れた私は大喜びで、願いをかなえてくれたサンタクロースに感謝したものです。

 もちろん高学年にもなると、玩具は両親が買ってくれたものであり、サンタクロースに扮した玩具屋の店主がクリスマス・イヴの日に配達してくれるのだと気づくのですが、玩具欲しさに小学校を卒業するまで気づかないふりをしていました。幼い私にとってクリスマスとは、おねだりすることなく玩具を手に入れられる最高の日となっていたのです。

 では、イエス様がお生まれになった2000年前のベトレヘムで起きた出来事を振り返ってみましょう。最も大きな喜びに包まれたのは誰だったのでしょうか。ルカ福音書には、羊飼いたちが野宿をしながら夜通し羊の番をしていたことが綴られています。羊飼いは当時のあらゆる職業のうちで、最も過酷な仕事として知られていました。夏の太陽がじりじりとあたりを照らす炎天下でも、凍てつくような冬の寒さの中であっても、昼夜を問わず羊を外敵から守るために交替で羊の番をしなければならなかったからです。そのため、自ら進んで羊飼いの仕事を引き受けようとする者はなく、食べていくためにやむを得ずこの仕事に就く人がほとんどでした。そのような環境は彼らの健康を蝕み、短命のうちに人生を終えていったのです。彼らにとっての唯一の希望は、いつか救い主が現れて、自分たちの窮状を見て憐れに思い、根本から状況を作り変えてくれることでした。

 彼らがいつものように羊の番をしていた冬の日の夜のことです。突然光り輝く天使が現れて、彼らに言いました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである」。彼らは驚きつつも家畜小屋として使われている洞窟へ行ってみると、若い夫婦と生まれたばかりの幼子を見つけたのです。羊飼いたちは主メシアである幼子を礼拝した後、神に賛美を捧げながら再び羊の番に戻っていきました。彼らはこの場面しかルカ福音書に登場しないのですが、彼らは自分たちの人生に一縷の希望を見出したに違いありません。

 人間にとっての本当の喜びとは何でしょうか。それは、欲しい物を手に入れた時に感じる希薄なものではなく、人生を根本から変えてくれるような出来事に直面した時に、霊魂の根幹から沸き起こってくるものではないでしょうか。今年のクリスマスは、物質的な豊かさに望みを置くのではなく、人間性そのものを豊かにしてくれる神からの豊かさに希望を持ちたいものです。主イエス・キリストの降誕の恵みが皆さんの上にありますように。


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