-マルコ 1:11-

あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者

-中村神父-

 昨年は三年半に及ぶ感染症の蔓延が一段落し、これまで通りの生活へと徐々に戻れることに笑みがこぼれたのもつかの間、イスラエルでの紛争が始まったことで、新たな懸念が世界中の人々を憂いの中に引き込む事態となりました。当初はテロの被害に遭ったイスラエルに同情する声が大勢を占めましたが、その反撃の激しさとガザ地区での被害の深刻さが明るみに出ると、直ちに停戦すべきだとの意見が世界中で叫ばれるようになりました。国連の話し合いも各国の思惑によって、停戦や仲裁に入ることが容易ではなく、先行きの見えない事態に陥っています。一刻も早く紛争解決の道が開かれて、現地で苦しむ多くの人々に援助の手が差し伸べられるとともに、命を落とした人々の永遠の安息を祈らずにはいられません。

 2000年前のイスラエルは、現在と真逆の状況にありました。国を支配しているのはローマ帝国であり、国民はあたかも現在のガザ地区に住む人々のように、明るい未来が見えない生活を余儀なくされていたのです。そのような中で洗礼者ヨハネが現れ、悔い改めの洗礼を人々に呼び掛けました。それは、救い主が間近に迫っているから、これまでの日々の歩みを根本的に見直し、神に向かう道へと生き方を変えるよう、人々を回心に導くためのものだったのです。

 そこにイエス様が現れて、ヨハネから洗礼を授かりました。福音書はいずれも、天が裂けて聖霊が鳩のようにイエス様の上に降ってきたことを告げています。そして、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」という父なる神の声が聞こえました。周りには大勢の人がいたと思われますが、この声はイエス様にしか聞こえず、他の人たちと同様に洗礼を受けたとしか思われなかったことでしょう。ただ一人、洗礼者ヨハネだけは聖霊がイエス様の上に降ってきたことを目撃しています(ヨハネ1章32~34節)。

 この出来事を契機に、イエス様は荒れ野に退いて40日40夜の断食苦行を行い、ヨハネが捕らえられた後に、人々へ神の国の福音を宣べ伝え始めました。ベツレヘムでの誕生からエジプトへの避難生活を経て、ナザレで普通のイスラエル人として生きてきたイエス様は、洗礼によって本来の使命である、神の国の宣教へと新たなステップを踏み始めたのでした。

 新しい年の始まりは、神様からわたしたちへの新たな恵みを表すものです。わたしたちを取り巻く状況に不安が付きまとうとしても、神に信頼を置いて、イエス様の教えを生き続けるならば、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」と父なる神様が応えてくれるに違いありません。この世界が神様の恵みに満ちたものとなるよう、希望を持つことが大切です。この一年を通して、神様の恵みと祝福が皆さんの上にありますように。


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