2024年4月 | ▶︎朗読を聞く |
兄は「いやです」と答えたが、 後で考え直して出かけた。
-マタイ21章29節-
-来住神父-
何か、人にものを頼まれた時、その場では、「いや、それはちょっと~」と断ってしまうことがあります。しかし、少し時間を置いて考えると、できなくもない依頼だったかもと思う時もあります。しかしそこで、頼んできた人に電話して、「できるかも知れません。もう一度、詳しい話を聞かせてもらえますか」と申し出る人は少ないでしょう。「考え直して出かけた」というのは、考え直した結果を行動に移すことです。
最初、「いや、いまはちょっと」と断ってしまうのは、ファースト・リアクション(first reaction)です。自分を守ろうとする体の本能的な反応です。私たちは「今でも大変なのに、面倒に巻き込まれて身動きがつかなくなっては困る」といつも心配をしているからです。また、頼んできた相手に良い感情を持っていない、この人には関わりたくないという気持ちがあるからかもしれません。
時間を置くと気持ちに余裕が生まれ、本能的な反応をせずに、「考え直す」ことができます。これはセカンド・ソート(second thought)です。自分の時間とか、自分の能力を考え、また教会や職場や家庭の状況を思い、頼んできた人の立場を考えて判断することができます。人間である以上、ファースト・リアクション、つまり本能的な反応は多かれ少なかれ誰でもあります。キリストに従うということは、ファースト・リアクションではなく、セカンド・ソートに基づいて行動することです。
しかし、考え直せる人はあっても、「お引き受けできるかもしれません」とわざわざ告げる、つまり行動に移せる人は多くないでしょう。人間の体には慣性の法則のようなものが働いていて、一度ある行動に踏み出すと、修正することが難しいようです。ブレるのはみっともない、一貫性がなければならないと、どこかで思っているのかも知れません。
しかし、良いことをするためには、自分の小さな一貫性などはどうでもよいことではないでしょうか。申命記6章6節で「今日私が命じるこれらの言葉を心に留めなさい」と言われています。神の言葉は突然ひらめくこともありますが、多くの場合は、本能的な反応から自由になり、熟慮した結果として現れるのです。昨日の自分の判断に囚われずに、今日、神が私に語ってくださる言葉に耳を傾けたいものです。「今日、神の言葉を聞くなら、神に心を閉じてはならない」という祈りがあります。