2024年10月 ▶︎朗読を聞く 

物が有り余っていても 不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。

-フィリピの信徒への手紙、4章12節-

-来住神父-

この手紙を書いたパウロという人は、キリスト教を広めようとして、多忙で苛烈な生活を送った人です。迫害の中で暮らす術も知っていたでしょう。

パウロは機略に富んだ人でしたが、「対処する秘訣」とは、 どんな状況の中でもうまくやれるという意味ではないと思います。 強制収容所の中でも、うまく立ち回って食べ物を手に入れるとかいうことではないと思います。

どんな時も、「人と一緒に生きて行く」という感覚を失わないことが秘訣なのだと思います。 実際、パウロは自分が投獄された牢屋の看守にも親切でした。彼らもまた、ローマ帝国の統治下で恵まれた人では なかったのです。

時代によって、 人間の負う苦しみや不安は違います。現代の日本には、 パウロが思いもかけなかったような不安があります。それは、「私はいったい何歳まで生きなければならないのだろう」という不安です。 今では80歳、 90歳まで生きるのは珍しくありません。当たり前のような感覚さえあります。

自分もその年まで生きるかも知れない。そうなった時に、介護の費用は払えるだろうか、親族には親切にしてもらえるだろうかという不安はほとんどの人にあると思います。 高級老人ホームに入れる、 いざとなったらお金で介護は買える富裕層は少ないでしょう。この不安は、老境にある人だけではなく、若い人にもすでにあります。

そんな不安を 乗り越えて、明るく生きる秘訣の一つは、家族や介護職員と「ともに生きる」という感覚を失わないことではないかと思います。

デイ・サービスに行くと、自分がこういう場所に送り込まれることに不満を表す人が います。自分が行くと、家族が半日休むことができるということがわからないのです。 あるいは、分かろうとしないのです。 ぐずる利用者をなだめるのに手間がかからなければ、 その分、職員の労働が楽になることをわかろうとしないのです。

加齢のため、自分以外の視点からものを見ることが できなくなっている老人ならしようがありません。 しかし頭から、老人だから自己中心なのはしようがないと思うのは蔑視です。 じっくり話せば わかる可能性もあると思います。老人も、 家族や介護者を介護関係として見るだけではなく、 この難しい世の中を共に生きる仲間として見ることが、不安を生きる「秘訣」ではないかと思います。


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