-1テサロニケ 5:16-18-
いつも喜びを忘れずにいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。
-ノノイ神父-
パウロが手紙に書いたこの短い勧めをより深く理解するためには、手紙が書かれた背景を知る必要があります。パウロがシルバヌスとテモテと共に2回目の宣教の旅の間にテサロニケで教会を設立したのは、西暦50年頃のことでした。
最初のうち、3人はどうやらそこで暖かく迎えられたようです。彼らはユダヤ教会で教えを説く機会までも与えられたので、多くのユダヤ人や異邦人の回心を促しました。しかし、彼らの宣教活動の成功は、一部のユダヤ人の間で不安と嫉妬を引き起こすこととなりました。このことが原因で3人は最終的にテサロニケを去ることを余儀なくされました。そして、取り残された新しい信者たちは、悲しいことに、新たな迫害の標的にされたのでした。
パウロは遠く離れていても、いつも彼らのことを心に留めていました。そして、テサロニケにいる信者たちに人生の明るい面を見るようにたびたび手紙で勇気づけていました。そのような時に、パウロから「いつも喜びを忘れずにいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」という美しいこの言葉がテサロニケに取り残された信者達に届けられたのです。別の言い方をすると、彼らが経験している試練を通してこそ、祈りが彼らのしあわせと強さの源になりうるのだと、パウロは伝えたかったのでしょう。
祈りがイエスとパウロの命綱であったように、それは私たちにとっても同じであるはずです。私たちは内なる神の声に耳を傾ける時間を持つ必要があります。祈ることとはそれほど難しいことではありません。私たちが抱えている困難、仕事、そして自分の夢についても父なる神に心の内をただ打ち明ければいいのです。さらに、漆黒の闇の中にいると感じる時でさえ、私たちが神に信頼し、心を尽くして祈りを捧げることによって、私たちは感謝の内に人生における喜びに気づくことができるのです。
カトリック教会は次のように教えています。
わたしたちは、いつも働き、徹夜し、断食するようにと命じられているわけではありません。しかし、たえず祈るようにというおきてがわたしたちに与えられています。この疲れを知らない情熱の源は愛以外にはありえません。どんな時でも私たちは祈りを通して父なる神とつながることができるのです。
