> 2021-12 - 2022-1

 2021年12月-2022年1月

-マタイ 25:40-

私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたことは私にしてくれたことである。

-ノノイ神父-

 この聖なるみ言葉は、マタイによる福音書の最後の審判の場面に記されています。その中で、イエスご自身が弟子たちに貧しい人々に対する接し方によってどのような結果になるかを教えられました。それは、もし彼らが貧しい人々に救いの手を差し伸べれば、永遠の命を得ることができる。しかし、彼らが助けを必要としている貧しい人々に対して見て見ぬふりをした場合、天の国を受け継ぐことはできない、と教えられたのです。

 旧約聖書には、常に助けを必要としている人々に気を配って欲しいという神の願いが様々な箇所で表現されています。箴言19章17節には「弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは、必ず報いられる」と簡潔に書かれています。苦しい状況にある人々に親切な行いをした者を主はよく覚えておられ、その行いに対して報いられる、ということでしょう。

 私たちはこのことを常に考え、そして祈る必要があります。巡礼を通して神の現存を体験するために、多くの人々が聖地に行き、また、他の人々は、断食し、祈り、そして神の言葉を学ぶことにより、カトリック教会の慣習を忠実に守ってきました。これらはすべて称賛に値します。しかし、これらの行いを私たちが慈愛の気持ちを持ってしないのであれば、何かが欠けているのです。

 最後の審判で言われているように、私たちが空腹な人、喉が渇いた人、病気の人など苦しい状況にある人々に対して何をしたか、何をしなかったかに基づいて、神は私たち一人ひとりを評価されるのです。つまり、助けを必要としている人々に対して私たちがどれだけ関心を持って具体的に行動したかによって審判を受けるのです。

 私たちが地上で与えられている命の時間は短いのです。ですから、手遅れになるまで待つことをしないでください。あなたが今月のみ言葉を具体的に実践するなら、私たちが永遠の裁判官である神のみ前に向かい合って立つとき、「ようこそ、あなたのために用意された王国を受け継いでください」と神が仰るのを聞けるかもしれません。


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