-ヨハネ 20:21-
あなたがたに平和があるように
-ノノイ神父-
イエスは十字架に架けられる前夜、12人の弟子達と一緒にいました。イエスと弟子達はイスラエルをエジプトから脱出させたモーセの時代から続いていたユダヤ人の伝統的な過越祭を祝っていました。この特別な夜は、後に最後の晩餐と言われるものでした。
それはイエスご自身とイエスの愛する弟子たちにとって最も長い夜だったことに違いありません。その夜は、これからイエスの身に起きる恐ろしい出来事を思い、不安と恐怖に満ちていたと想像されます。そんな時、イエスは弟子たちにこの言葉を初めて言われたのです。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」と。 (ヨハネ14:27)
そして、イエスは死からよみがえった直後に、不安の中にいる弟子たちの前に再び現れて、「あなたがたに平和があるように!」と挨拶をされました。(ヨハネ20:19)これは、魂と身体の繁栄への願いを込めた礼拝です。
「平和」という言葉は新約聖書に92回も出てくると言われていますが、この「平和」は「調和」も意味しています。また、旧約聖書では「幸福」とたびたび関連付けて使われています。 これは、紛争がない状態というよりも精神的な幸福と関係があります。
さらに、カトリック教会の教えを解説したカテキズムには次のように書かれています。
「地上の平和とは、メシア的平和の君であるキリストの平和の写しであり、実りです。キリストはご自分の十字架の血によって、ご自分の中で憎しみを滅ぼし、人々を神と和解させ、ご自分の教会を全人類の一致、神との一致の秘跡となさいました。実にキリストは私たちの平和であります。彼は、平和を実現する人々は、幸いであると断言されるのです。」
最近、世界はあらゆる種類の混乱に苛まれています。私達人類にとって平和が必要です!一方で、現代社会における平和は、浅くまた刹那的でもあります。何故ならキリストが私たちのことを第一に考えて下さったように相手のことを大切に思うというキリストが教える平和の考えに基づいていないからです。したがって、私たちは平和の福音を分かち合う努力を続け、正義と友愛の実現に加え人類と自然との調和に取り組み、キリストの平和が私たちの世界に満ちるように努めなければなりません。
全てにおいてキリストの平和が私たち人類の心にとどまりますように。
