2024年3月 ▶︎朗読を聞く 

イエスは言われた。「…… あなたは、わたしに従いなさい。」

-ヨハネ21章22節-

-来住神父-

〇 ヨハネ福音書の終わりに近い箇所で、イエスが弟子の一人、ペトロに言われた言葉です。湖畔での静かで和やかな食事の後、イエスはペトロに、あなたは苛烈な人生を送ることになると告げられました。おそらく殉教の最後を遂げる。

ペトロはそれには納得したのですが、周りを見ると、別の弟子が暢気そうにしていたので、「 先生、私が殉教するのはいいんですが、あの人はどうなるのですか」と尋ねました。「彼もちゃんと殉教するんでしょうね」という意味でしょう。

それに対して、イエスはこう答えられました。 「彼がどういう生き方をして、どういう死に方をするかは、あなたには関係のないことだ。あなたは私に従いなさい。」

家族やグループで何か決め事をするとしましょう。例えば、「朝食の時には、必ず皆、集まるようにしよう」と申し合わせをする。しかし、誰かがそれを 軽視始めると、他のメンバーも「なぜ私が馬鹿正直に守らなければならないのだ」と思うようになる。だんだんにそれが広がって、結局誰も申し合わせを守らなくなるという経験は あると思います。そんな時に、「他の人がどうするかは 関係ない。私は申し合わせを守る」と言える人がいるか。グループが崩壊の淵に立った時に持ちこたえるかどうかは、他の人はどうであれ、私はやるという人が 何人いるかで決まると思います。

ここまでは「しっかりした人」とはそういうものだということで、世間一般でも通用する考えでしょう。 しかし、キリスト教の 信仰の 特色は、「イエスはそう言われた」というところにあります。 ただ、自分だけは踏みとどまるぞと頑張るのではない。 イエスが、「他の人がやらないのには彼なりの事情もあるだろう。 それはまあ 横に置いておいて、あなたは私に従いなさい」 と言われる。 イエスのその言葉に耳を傾けて、「まあ、あなたがそう言われるなら仕方ありませんね」と踏みとどまる。そこにキリスト教信仰の大事な部分があるのです。

そして、一人でも頑張るという意地は、頑張っていないと見える人に対する侮りを生むことがあります。自分に見えていることが、その人のすべてではないことを忘れないようにしたいものです。

ぜひ前月の御言葉 「互いに愛し合いなさい」の解説も合わせてご視聴してください。


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